1930年にはハリウッドでは335本のトーキーと95本のパート・トーキーと175本のサイレント映画をつくっていたが、翌1931年にはサイレント映画はチャップリンの『街の灯』など、たった2本だけになってしまいました。
こうしたトーキー・ブームのなかで、映画会社の収益は著しく増加しました。
映画業界は1930年にはビッグ・ファイブだけでも7000万ドルという純益をあげました。
業界は1920年末にはいわゆる「成熟寡占」の段階に達したそうです。
ビッグ・ファイブは封切館の77%、全米映画製作・配給の50%を支配したのです。
しかし、他方ではトーキーへの迅速な転換の費用もうなぎ登りでした。